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六角陶碑は、幕末の名工加藤岸太郎が中心となって成形・焼成、慶応3年(1867)に完成した日本最大の陶製碑です。

この陶碑を製作するにあたっては、北新谷の丸窯の中で造り、焼成後、窯の入口を壊して取り出し、コロを用いて藤四郎山まで運んだと伝えられています。

陶碑は六角柱体、碑棹の長さは1丈1尺(333センチ)、各辺の幅は2尺(60センチ)で志野釉が施されています。29個のやきもので組み合わされていますが、寸分の狂いもなく、均整のとれた碑に仕上げられています。台は三層が陶製で、棹の上部は六角形の陶蓋で被われています。

碑には陶祖・加藤四郎左衛門景正の伝記が克明に刻まれています。

六角陶碑の中は空洞で、「法華経」文が一字一石に書かれて納められていると いわれています。







陶祖春慶翁の碑

 陶祖の姓は藤原、名は景正、加藤四郎左衛門という。別号を春慶または俊慶、追称を陶祖という。祖父は橘知貞、大和国諸輪荘道蔭村の出である。知貞の子は元安で、元安の子が陶祖である。元安は罪があって備前(岡山県)に流された。母は平民で、山城国深草の道風の娘である。陶祖は幼少の時から土いじりを喜び土器を作った。彼は常に中国の焼き物のように巧みにできないのを恨んだ。中国におもむいて焼き物の勉強をしようと志してから既に長く、大納言久我通親に仕えていた。通親の第二子道元(曹洞宗開祖)が宋の国へ渡るのに従うことが遂にできた。時は嘉定十六年(1223)であった。宋に留学すること、およそ六年で帰った。帰着したのは肥後国川尻で、中国から持ち帰った土で小壺三個を作り、副帥の北条時頼と道元に贈呈した。陶祖が日本に帰ったのは26歳の時であった。ついでにいうと、父はまだ備前にいたので、ここに留まって製陶した。母は深草にいたので訪ねていったが、時ならずして死亡してしまった。そこで、京都・畿内やその付近で陶器の試し焼きをし、また尾張国の山田郡・知多郡・愛知郡でも試し焼きをしたが、みな結果はよくなかった。ついに山田郡瀬戸村の祖母懐の地を見、その土質は中国から持ち帰ったのと同じであることを知った。そこで、ここに陶業を開き、一生故郷へは帰らなかった。
 また、別人の説では、陶祖の祖母が良土を瀬戸の雨池の洞で得て、これを懐に入れて持ち帰ったということから祖母懐というわけである。さらには、祖母懐とは、陶祖が瀬戸村神社の深川神に祈り、夢によって知らされて発見したものであるともいう。瀬戸村についての古書物を調べると、山田郡、今の春日井郡は上世には良い焼物の産地であった。即ち、日本後紀・延喜式・和名抄・朝野群載などの書によると、当時朝廷は瓷器を作らせていたが、多分これは山田郡であったのであろう。時代が下って陶祖もまたこの事績を聞いていたので、これらの功績を挙げえたのであるという。陶祖の宅址は中島という。その宅地は瀬戸村深川神社東辺の田んぼの中で、そこには杉一本がたっていたとしるされている。また、その北に禅長庵の地といわれる所がある。伝説によると陶祖は晩年家事を子供にまかせ、別に妻と庵をむすんだ。これが没した地である。陶祖の没年は諸書に誌されていない。墓は五位塚で、その左の馬ケ城という地内には古い窯がある。今はその馬ケ城に、陶器の手づくりを続ける者は残っていない。ただし村に獅子が一揃いある。伝えによれば藤四郎の作である。その後、村民は藤原姓で、藤四郎の末裔である。村民は協力して藤四郎を祭祀し、これを陶彦社またの名を窯神とし、例祭は三月、八月の十九日で、三月は戯獅子、八月は馬を走らせている。藤四郎の子は藤五郎、孫は兎四郎、以下の者も陶業を先じでおこなった。
 慶応二年(1866)丙寅二月
    尾張 阿部伯孝撰


9月21日(土)22日(日)の二日間、約30名の方が8月に六角陶碑の中から 取り出した石(法華経が書かれていると思われる)に触れていただき、汚れをとる作 業を行っていただきました。



陶祖公園内にある六角陶碑の内部調査を8月1日(木)2日(金)の2日間、実施し、六角陶碑の中から多くの石を取り出しました。今回、この取り出した石の整理(石を洗ったり、大きさを測ったり、写真を撮るなど)を行いますので、ご参加ください。どなたでも簡単にできます。※募集は終了しました。

■対象 どなたでも可

■参加費 無料

■定員 各30名(先着順)

■日時 
9月21日(土)①午前10時~正午  ②午後1時~午後3時
  22日(日)③午前10時~正午  ④午後1時~午後3時

■場所 瀬戸市文化センター

■申込方法 電話にて9月13日(金)までにお申し込みください。

■持ち物 飲み物、タオル、軍手(汚れてもいい服装でお越しください。)

8月1日・2日の2日間にかけて、陶祖公園に設置されている六角陶碑の第2次内部調査を行いました。2月に行われた第1次調査では、内部に法華経の経文らしき文字が描かれた小石が大量に入っていることがわかりましたが、今回の調査はその結果を受けて、さらにくわしく六角陶碑を調べるために行いました。
調査では、調査員がひしゃくなどを使って陶碑から小石を取り出し、照明で内部の様子を確認する作業を行い、15,000個以上の小石を取り出しました。




 陶祖800年祭実行委員会では、陶祖公園(藤四郎町)にある六角陶碑(瀬戸市指定文化財)の建立と背景、その歴史的意義を解明するため、2月19日(火)に六角陶碑の内部調査を行い、200名近い市民の方も見学をされました。
 六角陶碑は、幕末の名工加藤岸太郎が中心となって成形・焼成、慶応3年(1867)に完成した日本最大の陶製碑です。  碑には陶祖・加藤四郎左衛門景正の伝記が克明に刻まれて、今回初めて、この六角形の陶蓋を外して、内部の調査を実施しました。
 内部には伝承どおり、六角陶碑の上部まで小石が大量に詰まっていました。 石は、3cmから8cmで形はさまざま。ひとつひとつの石に1文字から5文字が書かれていました。