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瀬戸・藤四郎とは

 瀬戸は、千余年の伝統を誇る「やきもの」のまち、世界を代表する陶都です。周囲に広がる丘陵地は、良質な陶土の宝庫です。
この瀬戸のやきものを語る上で、加藤四郎左衛門景正(通称:藤四郎)を欠かすことはできません。
 加藤四郎左衛門景正の生涯を記した藤四郎伝記では、藤四郎が貞応2年(1223)に永平寺を創建する曹洞宗の開祖道元禅師に従って中国へ渡り、やきものの技法を学んで帰国しました。その後、製陶に適した土を求め全国を回る中、仁治3年(1242)瀬戸の祖母懐によい土を発見し、瀬戸で窯を開き、それが瀬戸焼の開祖となった、というものです。藤四郎伝記は、江戸時代以前には確認されていませんが、中世にも藤四郎と関係する史料はいくつか存在します。
 「藤四郎」が最初に登場する史料は、正応2年(1289)銘をもつ、鉄釉茶入です。また、瀬戸における最古の藤四郎伝記は、延享5年(1748)の「加藤唐四郎春慶翁伝来記」で、道元禅師が密蔵院(春日井市)に折々来たので、藤四郎が訪ねて禅門に入り、それが縁となって道元禅師の入宋に従ったことになっています。
 このほかにも藤四郎の伝記については幾多の書物に記されていますが、いずれも伝説の域を出ないもので、学術的裏付けはできていません。
 しかし、瀬戸では藤四郎を祀る神社として、文政7年(1824)に深川神社境内に摂社として陶彦社を建立するとともに、慶応3年(1867)には、陶祖・藤四郎を記念した高さ410cm、六角柱体の日本最大の陶製碑を瀬戸のまちを見おろす陶祖公園に建てています。また、昭和37年から「せと陶祖まつり」を開催するなど、瀬戸の人々は、現在まで藤四郎を瀬戸焼の開祖としてその功績をたたえています。

陶祖・加藤四郎左衛門景正(瀬戸蔵ミュージアム 蔵)

      


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a.陶祖公園
 瀬戸川上流の右岸小高い山の上に陶祖公園は位置し、明治43年(1910)に春慶翁700年祭が行われた時にこの公園の整備がされました。公園内には、鎌倉、室町 時代の古瀬戸窯跡がいくつもあり、古くは庚申山、藤四郎山といわれ、瀬戸の人々から親しまれてきました。

b.六角陶碑 
(陶祖公園内)
 幕末の名工加藤岸太郎が中心となって、成形・焼成、慶応3年(1867)に完成した日本最大の陶製碑です。
 この陶碑を製作するにあたっては、北新谷の丸窯の中で造り、焼成後、窯の入口を壊して取り出し、コロを用いて藤四郎山まで運んだと伝えられています。  陶碑は六角柱体、碑棹の長さは1丈1尺(333センチ)、各辺の幅は2尺(60センチ)で志野釉が施されています。台は三層が陶製で、棹の上部は六角形の陶蓋で被われています。39個のやきもので組み合わされていますが、寸分の狂いもなく、均整のとれた碑に仕上げられています。碑には陶祖の伝記が克明に刻まれています。昭和49年瀬戸市指定文化財指定。

c.志野焼燈籠
1対 
(陶祖公園内)
 慶応3年(1867)に陶祖碑が完成されたとき、瀬戸村窯屋有志の間で献燈用の陶製燈籠建設の議が持ち上がりましたが、当時の政治的不安と不況のため実現しませんでした。その後、再び建議され、当時の有力者20名が各五両宛献金し、陶祖碑の製作者加藤岸太郎がおよそ1年がかりで制作しました。  陶製志野焼燈籠で、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の六部分から成り、陶製燈籠としてはわが国最大級の大きさと最高の作行を誇るものです。力強く円熟した陶技は永年の風雪に耐え、よくその偉容を伝えています。昭和53年3月に風雨除けのため覆いが設置されました。平成5年瀬戸市指定文化財指定。
d.景登翁之碑 
(陶祖公園内)
 陶祖公園には、陶祖藤四郎を偲ぶ六角陶碑があります。碑の建設に尽力したのが山陶屋の加藤清助景登でした。景登は幕末期の瀬戸村庄屋や窯元取締役を務めた有力者で、明治17年(1884)2月に没しています。  明治20年頃、瀬戸の恩人陶祖の碑を建設した加藤景登の陶祖建設が建議され、瀧藤萬治郎・川本留助ら28人の有志が資金を集め、製作を寺内信一(半月)に依頼しました。碑文の撰者浅田申之、焼成は加藤繁十があたり、陶製碑は同24年(1891)立派に完成しました。直後に濃尾大地震が襲い、碑はバラバラに壊れました。現在、補修してありますが、ヒビはその時の傷跡です。
e.陶祖公園茶室(竹露庵) 
(陶祖公園内)
 夕日窯跡の碑の立つ坂道を登ると、草葦の瀟洒な茶室が建っています。  この茶室は名古屋幅下の某家にあったものを明治初期に移築したものだといわれています。かかわったのは加藤景登・素雪父子、蘭方医加藤某等で、明治19年(1886)には有栖川宮をお迎えし、その時に「竹露庵」と名付けられました。
f.春慶翁宅跡 
(前田町)
深川児童遊園地の奥に陶祖春慶翁宅跡の碑があります。「春慶」は加藤四郎左衛門景正の別号です。
g.深川神社・陶彦社 
(深川町)
創建は771年で瀬戸の産土神(うぶすながみ)として由緒があり、社伝によると陶祖藤四郎が参拝した折、ご霊験により辰巳(東南)の方向に祖母懐の土を得たとされています。社宝として陶祖藤四郎の作という陶製狛犬、切支丹灯籠などがあります。参道の商店街には「地下商店街」の看板がかかっています。隣接する陶彦社には鎌倉時代に中国に渡り陶業技法を学び瀬戸に伝えたとされる「陶祖藤四郎」(加藤四郎左衛門景正 別号 春慶)が祀られています。
h.陶祖像 
(西拝戸町)
終戦の翌年、昭和21年(1946)に早期瀬戸の経済の復興を願い、市内有志が古瀬戸保育園の南側に「陶祖藤四郎」の像を建立しました。
i.陶祖まつり
 陶祖 藤四郎の遺徳を偲ぶお祭りとして、昭和37年にはじまりました。毎年4月の第3日曜日とその前日の土曜日に行われます。2日間は、陶祖供養をはじめ、御物奉献行列、せともの楽市、せと窯元直販処など、市内では様々な行事が行われます。